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就職氷河期世代とは?見送られた氷河期世代の対策は復活するのか

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こんにちは、億持ってない億男です。

最近ニュースなどで「就職氷河期世代」というワードを見かけることが増えてきました。SNSでもよく見かけるキーワードです。
では「就職氷河期世代」とは具体的にどの世代の人たちなのでしょうか。そして、どうして問題になっているのか・・・。
今回は「就職氷河期世代」とはどんな人たちなのか、この世代の人々が抱えている現実と、政府の対策などをまとめて解説します。

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就職氷河期世代とは

就職氷河期世代とは、バブル崩壊後の経済低迷期に若者世代であり就職活動してきた人たちのことを指します。具体的には、以下のような生まれ年の方々が対象とされています。

大卒の場合:1970年(昭和45年)4月2日〜1983年(昭和58年)4月1日生まれ

高卒の場合:1974年(昭和49年)4月2日〜1987年(昭和62年)4月1日生まれ

参考:Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%B1%E8%81%B7%E6%B0%B7%E6%B2%B3%E6%9C%9F

つまり、2025年時点では、40代前半〜50代半ばくらいの方々がこの就職氷河期世代に該当します。

そして、この就職氷河期世代の次に来るのが、いわゆる「ゆとり世代」と呼ばれる人たちです。
就職氷河期世代の人たちの多くは、若い頃や子どものときに不景気のあおりを受けています。中には「親がリストラにあって大変だった」といった経験をしたこともいるでしょう。そして、自分が就職する年齢になると「正社員になれない」「採用枠が極端に少ない」「何十社受けても面接までいけない」といったケースも少なくありませんでした。
不景気という自分の力ではどうしようもない波に飲まれてしまった世代といっても過言ではありません。

就職氷河期世代はどんな状態なのか

では、実際に氷河期世代の人たちはどんな状況に置かれているのでしょうか。

まず大きな特徴としてあげられるのが、賃金水準の低さです。
若い頃に正社員として就職できなかった人も多いため、非正規雇用のまま働き続けた方も少なくありません。また、正社員であっても賃金が低かったり、今で言う「ブラック企業」のような待遇を受けてきたというケースもあります。
また、経済的に余裕がなくキャリア形成の機会に恵まれなかったことで、昇進や転職で不利になることもあり、賃金ベースそのものが低く抑えられたままになっているのです。

今、初任給が上がっていると報道されていますが、その一方で、氷河期世代には「昇給の波」はおとずれておらず、まさに「苦労したのに金銭で報われない」という状態になることも・・・。

しかも、この世代は結婚・出産・マイホーム取得といったライフイベントの真っただ中にあるときに、十分な支援を受けられなかったというのも事実です。そして、今、
「子どもが成長して教育費がかかる」「住宅ローンが残っている」「親の介護もそろそろ視野に…」というタイミングで、厳しい現実に直面している方も少なくありません。

就職氷河期世代の対策が見送られた背景は?

政府はこれまでにも「就職氷河期世代支援プログラム」などを打ち出し、支援を試みてきました。
たとえば、企業が氷河期世代の人を採用すると助成金を出す制度や、職業訓練の機会を提供するなどの取り組みです。もちろん、無駄だったということではありませんが、今の就職氷河期世代の現状をみると十分な対策であったとはいえないでしょう。

そして、2025年に政府は就職氷河期世代への支援に乗り出すと見られていましたが、年金制度改革の関連法案は反発があり見送りに。

与党からも就職氷河期世代への対策がいろいろと提案されているようですが「厚生年金に入れるようにする」といったものも多いのが現状。今の生活が苦しい人に将来の年金のために厚生年金に入るようにというのは、現実的ではないという声も多くあるようです。確かに、将来のためにというのは一定の意味がありますが、今が苦しい人への対策は十分ではないと言わざるをえないようです。

まとめ

就職氷河期世代は、バブル崩壊などの痛手を背負わされてしまった世代です。

政府は就職氷河期世代の対策を何もしなかったわけではありませんが、それが十分に機能したとは言えず、今回の年金制度改革では「支援が後回しにされた」と受け取られても仕方のない面もあります。

就職氷河期世代の人たちからは「助けて貰えない」「取りこぼされた世代」といった諦めにともとれるような声もあります。すでに仕事でキャリアを形成している世代でもあり、働き盛りの世代でもあるため無視できない問題です。

見送られた氷河期世代の声が、これからの政策にどう届くのか。
私たち一人ひとりが関心を持ち続けることで、少しでも風向きが変わっていくことを願いたものです。